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2017/06/16

シャドウは誰を通じて現れるのか。

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CED(Chief Ecosystem Designer)の茂木です。

初回のブログで潜在能力を引き出すことの重要性について触れたので、もう少しこのあたりの深いところについての自身の体験を話してみようと思います。何しろ自分の枠を拡げることはここ数年の自分の大きなテーマだったからです。そして、この自身の枠というテーマを考える時に外せないキーワドがあります。
「シャドウ」です。
皆さんは、心理学用語の「シャドウ」という言葉を聞いた事があるでしょうか。

心理学用語集には下記のように記されています。

シャドウ(影)
シャドウ(影)とは、個人において生きてこなかったもうひとつの側面であり、意識にとって許容できない自分の暗黒面のこと。ユング,C.G.の提唱した元型のひとつ。意識において、ある自己イメージが選択されると、それに対立するイメージは無意識に抑圧される。そして、生理的に受け付けない人物という形で夢に登場したり、現実の人物(同性である場合が多い)に投影されたりする。しかしシャドウを否定することは自分自身を否定することであり、潜在的な可能性を捨て去ることである。自分の中のシャドウと向き合い対決することが、個性化の第一歩である。

これまでの人生の中で、私がどうしても怒りを覚えてしまう相手が何人かいました。私は普段は温厚なタイプに見えると思うのですが、時々怒りが沸点に達して周囲を驚かしたことが何度かあります。その相手は今から思うと自分にとってのシャドウのような存在だったことが多いのです。自分がかつて押し殺した要素を無邪気に体現している人。それを受け入れられる自分であろうと思ってもなかなか受け入れられない。なぜならば否定しているのはその人ではなく、自分がかつて否定した自分自身だからです。

そんな中で意外な人物がもう一人のシャドウとして立ち現れたのです。
それは私の次男でした。

二番目の子供は親のシャドウになりやすい?

長男は私がこれまでの人生の中で体現してきた性格を見事に体現しています。周囲の状況に敏感でバランスを取ってみたり。直感よりも頭で考えて行動したり。とても心配性で慎重に行動したり。それも当然です。彼は今の私の日々の言動を見ながら育っている訳ですから。
そして、そんな長男を見ながらやっぱりこれが自分の性格だな〜、なんて呑気に思っていた時期もありました。

そんな中、次男が3歳くらいになって性格がはっきりしてきた時に、全く違う性格の存在として立ち現れました。次男は負けず嫌いで、自分の要求は何が何でも通す「やんちゃ坊主」です。それでいて調子が良くて愛嬌はあるからどこか憎めない。その次男の性格に気づいた時に、自分の中で一つの仮説が立ち上がりました。

長男というものは、親がこれまでの人生の中で築いてきた「こうあらねばならない」という今の親自身の性格をそのまま踏襲する傾向にある。一方で次男は、親からの注目を集める為に、本能的に長男と差別化する為に真逆の行動を取っているのではないだろうか、ということです。つまり、次男というものは、構造的に自分が小さい頃に押し殺した、本来自分が持っていたもう一人の自分(=シャドウ)そのものになりがちだという仮説です。

シャドウを認めることで自由になる

私の場合は、それに気づいてから、自分が生きられなかったもう一つの人生をこの子は生きようとしているのかもしれない、自身のシャドウとも言える次男の存在が今まで以上に素直に受け入れられるようになってきたのです。もちろんイライラする時も多いのですが(笑)。
結果として、社会に適合するために封印したつもりでいた(実際には封印しきれずに時々暴発していたのですが)自分の中の「やんちゃさ」や「負けず嫌い」な心を、あってはならないものではなく、これも自分なのだと心の底から思えるようになったのです。すると自分が許せなかった様々なものが自然と受け入れられるようになってきました。何のことはない、自分が許せなかったのは他の誰かではなく、かつて否定した自分自身の一部だったのです。逆にそのことに気づいてからは、否定していたシャドウの暴発を適切にコントロールできるようになってきたような気がします。

それと同時に長男にも変化が現れてきました。
長男の中の「やんちゃさ」がむくむく顔を出してきたのです(笑)。
私自身が、本来もっていた「やんちゃさ」を少しずつ取り戻す中で、長男もそれをみて「やんちゃさ」を素直に表現できるようになったということかもしれませんが、私自身がこだわりを捨てて自分の全てを受け入れられるようになることで、長男も次男も「こうあらねばならない」という私の呪縛から解放されていっているのかもしれません。自分も長男も次男もこれまでよりも自由に自己表現できるようになっているとしたらこんなに幸せなことはありません。

読者の皆さんの中でも、2人の兄弟や姉妹の子供を持つ方がいらっしゃったら、是非次男や次女にも注目してみてはどうでしょうか。
あくまで構造的な傾向ですが、もしかしたらあなたが大人になり社会に適合する中で封印してきたものを取り戻すような刺激を与えてくれるかもしれません。

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